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  カレーの話その12 Gカレー    
  
                       投稿 南京ボルトさん

今から半世紀ほど前のことであるが、某G社が発売していた極端なほどのインスタントカレーを知っている人がいるだろうか。たしか赤いチェック模様のパッケージだった。具体的な作り方なんて忘れてしまったけれど、ほとんど時間をかけずにできあがるというものだったことだけは覚えている。


具材など何も用意する必要はなく、水を加えてざっと沸騰させるだけだったと思う。それでも乾燥肉の細片なんかが入っていた。親戚がやっている酒の小売店で何度か買って作ってもらった。小学校低学年にとっては若干辛めで、それゆえか、それまで自分の家で食べていたカレーよりも美味かった。
 

カレーではないが、このG社はコーラも作っていて、それは「G(会社の名前)コーラ」という名前の缶入りだった。当時はプルリングなどという安直なものは発明されておらず、猛禽類の嘴みたいなかっこうをした、5センチくらいの付属の穴あけで二カ所に穴を開けて飲んでいた。ジュース類は全てこの方式だった。

この穴あけではごく小さな穴しか穿つことはできないから、どうしても二カ所に穴を開けざるをえない。一方は要するに空気孔である。これが存在しないと内容物はスムーズに出てこないのである。口を付けるほうはやや大きめに、空気孔のほうは小さめにあけるようにと教えられた。


小学校1年のときの遠足は埼玉県寄居町の玉淀で、そこに「Gコーラ」を持って行ったところ、友達にこれを飲んだことのある奴は誰一人としておらず、みんな口を付けては奇声を発して突き返してきた。
 

インスタントカレーの話に戻る。
数年前に登山用品店でインスタントカレーを買って山ではなくて自宅で食べた。もちろん本来は登山目的での購入であって、八ヶ岳の縦走に持って行く予定だったのだが、どうした都合からか自宅で消費することになったのだった。で、話は何かというと、このカレーが昔のGカレーの味そのものだったということである。これは少しだけうれしかった。ざっと煮立てれば出来上がりというところも同じだった。妙なところで再会したものだ。滅びたと思っていたのに。

美味いとか不味いとかいう点では、まあ所詮登山用品なりのものでしかない。味よりも重量と調理の簡便さが重視されるという、それなりのものである。

ただ、記憶と違う1点があって、それは今回の登山用品があからさまな糊カレーだったことである。ノリっとしている。半世紀前の記憶では、曖昧ながらそれなりに普通のカレーだった記憶があるので、この点だけはがっかりした。
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  カレーの話その11 保育園カレー    
  
                           投稿 南京ボルトさん

最も古いカレーの記憶というと、保育園の給食で出てきたカレーである。味までは思い出せないものの、美味かったという記憶がなんとなくある。そしてお昼の時間にみんなで食べている情景と音を思い出すことができる。


その保育園のお昼は、ご飯だけを家から弁当箱に詰めてきて、おかずは保育園が出してくれるというものだった。俺は白米のご飯。そのころは麦飯の子もおおぜいいた。押し麦の茶色い中心線が面白くて、真っ白な自分の弁当箱が物足りなかった記憶がある。なかでも良く遊んだゴツい顔の子が持ってきていた茶色い醤油飯(「ショイメシ」と発音していた)は俺の白いご飯よりも魅力的に見えて、食べたくてしかたがなかった。醤油をかけたご飯ではなくて、醤油の炊き込みご飯のようなものだったと思う。何度かその子に作り方を質問したのだけれど、答えは要領を得ないというか、言葉の意味がわからず残念ながらまるで理解できなかった。母親に作り方を伝えた記憶もあるのだが、一度も作ってはくれなかった。


保育園の給食で出てくるのは温めた牛乳とおかず一品で、牛乳は給食のおばさんが各園児のカップに注いでくれた。アルミのカップの子もいれば合成樹脂のカップの子もいた。たしか、俺は最初はアルミでできた薄い水色のカップで、途中から緑色の合成樹脂のカップに変わったと思う。アルミのは飲むときに唇が火傷しそうなほど熱かったのが嫌だった。


メインのおかずで覚えているのが、カレー、そして茄子の煮物である。年度の途中入園だった俺にとって集団でお昼ご飯を食べるというのは初めての経験だったから、どのように振る舞うべきかわからず、周囲の園児の食べ方をひたすら真似していた。


カレーの食べ方というのは、カレーがよそられたアルマイトの丼に弁当箱のご飯を全部ぶち込み、それを匙でガチガチと突っついてから食べるというものである。覚えている音というのはこのことで、つばき組の園児全員がアルマイトの器を匙でひたすら「突く」から、それはもう教室全体にものすごい盛大なガチガチ音が響くのだった。大人になってから考えれば突っつくのではなくてかき回すほうが効率がいいわけだが、当時は考えつかなかった。ただガチガチ突きまくっていた。


さて、これを放置しては食器が傷む。保育園としても困ったのだと思う。「カレーを弁当箱のご飯にかけて食べよ。その逆は許されない」と俺たちに発令した。アルマイトの丼の底を詳細に観察するほどの問題意識は無かったから実際のダメージはわからないけれど、おそらくは酷い状態だったのではないかな。保育園児の力といっても、相手はたかだかアルマイト。そりゃ傷だらけにもなろうさ。


このようなわけで、これが最も古いカレーの記憶である。カレーの丼にご飯を入れて突っつくというのがとりわけ印象的な記憶として残っているのだから、自分の家では別の食べ方をしていたのではないかと想像されるが、覚えていない。


余談ながら茄子の煮物のことを言うと、大学を卒業してからも俺が茄子を食べられなかったのは、この保育園の給食のせいである。とにかく苦くて苦くて不味かった。俺以外にもこの茄子が食べられない子が数人いたが、食べ終わるまで席を立つことは許されなかった。どうして他の連中はあんな茄子を食べられるのか不思議でならなかった。今でこそ茄子は好物になっているが、これは長じてからの俺自身の精進のたまものであって、あの保育園での体験さえなければ数十年間の茄子欠損人生をおくることは無かったはずである。
保育園も反省したのか、今では結構まともな保育実践をおこなっている。
読者投稿記事               カレー教室         カレーの話しその10
                      投稿 南京ボルトさん

 
先週の金曜日、早めの夕飯に立ち食いそば屋で420円のカレーを食べた。カレー部分の3分の1くらいが隠れるくらいに七味を振りかけて食べたのだが、味をリセットすることはできなかった。一袋88円の大安売りレトルトみたいな味だった。でもカレーを食べたという気にはなった。

今日の昼には別の立ち食いそば屋で410円のカレー蕎麦を食べた。やっぱり七味を沢山かけて食べた。美味くも不味くもない。しかしある種のカレーを食べたという気にはなった。

なんだかまがい物じみたカレーばっかり一貫して食べているように聞こえるかもしれないが、私の舌にはこれでいいのだ。いずれも子どものころから慣れ親しんだカレーというカテゴリー内の食べ物であって、美味いわけではないが、とにかくこれが我がカレーなのだ。

そういえば、たしか桃中軒雲右衛門は、「自分は芝の新網の生まれで滋養のある物が食べられない」なんて言ってたな。そのとおり。食べ物なんてそういうものだ。


ところでGRIPケララの家庭料理教室の話である。先日これが始まって配偶者が習いに行ってきた。食べさせられるんだろうな。料理屋のケララカレーなら最低限の安心感はある。でも本物の家庭料理か・・・。興味はあるが、体がついてけるかどうか不安だな。
と心配していたところ、うちの配偶者は2種類のカレー料理を習い覚えて帰ってきた。数日後には作っていただけた。頼みもしないのに。

チキンカレーは予想していた以上に美味かった。インド人経営のレストランで出てくるチキンカレーを楽々超えるくらいの美味さだった。

ベジタブルカレーはだめだ。カレーの眷属を含め、カレーらしきものを食べた感じがまるでしないのである。カレー粉をわずかばかり混ぜて中途半端に野菜を煮込んだ変に水っぽいおつゆとしか表現のしようがなく、こんなもんカレーじゃない(んじゃないか?)。ずっと以前、カレーヌードルを食べたとき、余ったおつゆをご飯にかけて食べて気持ちが悪くなったことがあるが、それ以下という感じ。ほんとにケララの一般家庭じゃこれ食ってんのか?うちの配偶者、料理ヘタなんじゃないか?



あまり言いすぎてもあとがナニだから、今日はこのくらいにしておくが、ともかく、カレー教室には参加することをお勧めしたい。
読者投稿記事その           ロンドンのカレー      カレーの話しその9
                      投稿 南京ボルトさん 

カレーの話をあれこれ書いてきたけれど,内容がひどく貧相であることに最近気づいた。なので,インド料理のことをもう少しきちんと知るべきだと思い,5月末から6月末にかけてインドへ行ってそれなりのものを食べてみようと考えた。ところが航空券の手配に手間取ったことに加え,ちょっとした手違いも手伝って,手元に届いたのはロンドン行きの航空券だった。行き先も日程も変更できない格安航空券。いたしかたなく,ロンドンへカレーを食べに行ってきた。
 

夕方7時に連れの女性(独身,27歳)と待ち合わせて,リバプールストリート駅前にある『Dirty Dicks』というパブでビールを飲んだあとインド人街まで歩き,そこでカレー屋,というかインド料理屋,あとで判明したところではバングラディシュ料理屋へ入った。
 

注文したのはラムのなんとかとチキンのなんとか。驚いたことに日本国内インド料理屋のカレーと同じようなものが出来上がってきた。メニューにはカレーとかじゃなくて何だか良く判らない複雑なことが書いてあって,まさか本当にカレーが出てくるとは思わなかった。 で,ラムもチキンも満点であった。


カレーというものの味わいは,味そのものもさることながら,たぶん口に入ってからの「ぬめぬめ感」や「ざらざら感」とか,「さらさら感」や「べとべと感」なんてものが重要なのであって,こういうところがご飯とからめたときの出来不出来を左右することになるのだろう。いずれの点でも良かった。この旧宗主国の料理はどれも例外なくまずいと断言できるが,インド料理はたぶん安心である。欲を言えば,チキンがもうちょっとパサついていないほうが好みであるが。
 

一緒に注文したナンは同行の女性が全て食べてしまったので味はわからず。インドご飯も3分の2ほど食べられてしまった。コブラというビールはあんまり美味くなかったな。何かねっとりしたような口当たりで,爽快感もホップの味わいも無かった。
(お店はSTANDARD BALTI HOUSEという名で,71 Brick Lane London E1 6QLというところにあります。)
 

ついでにずっと以前のことも書いておくと,ポートベローマーケットという「蚤の市」を冷やかして歩いているとき,「私のカレーは世界最高である。ここでしか食べられない」というような意味のことを書いたワゴンのカレー屋でチキンカレーを注文したことがあった。

カステラでも作るのかというような細長い形をした発泡スチロールの入れ物に,ご飯とカレーを溢れるほどいっぱいによそってくれた。付けてくれたのはへなへなしたプラスチックの小さなスプーンだけで,しかも立ち食いになるわけで,ものすごく食べづらかった。しかもチキンは骨付きで,それは良いとしても,骨付きチキンを小さなへなへなスプーンでこぼさないように食べるのは実に骨のおれる作業であった。味はダメ。金属のような味をした何かのスパイスが一つだけひどく突出していて,食っていると耳の後ろのほうが痛くなってきた。 

読者投稿記事ーーカレーうどんのトッピング考      カレーの話しその8  

                              投稿 南京ボルトさん  

カレーうどんを作ろうとする場合,ゆでたうどん玉にレトルトカレーだけをを上からかけてもだめである。カレースパゲティが成立しないというところでも書いたように,太めの麺に対する関係においてカレーは味付けとしてのインパクトが弱いのである。実際にやってみればわかる。だからカレーうどんを成功させるためには,カレーを少々きつめの味付けに調整する必要がでてくる。立ち食いソバ屋のカレーうどんでは,おつゆの存在を当然の前提としてその上にカレーがかかっているから問題は解消されていると言える。

数年前,四国へ行ったときのことである。丸亀の駅の近所のうどん屋へ入ったところ,「カツカレーうどん」というものがメニューに載っていた。さてこれはどのようなものであろうか。
 
どうであったかというと,見た目は普通のカレーうどんであって,驚いたことにカツがどこにも乗っていない。で,うどんを箸でかきまわしてみたところ実に,おつゆの中に水没しているのであった。で,箸でつまみ出したらどうであったかというと,予感は的中し,ぐずぐずのどろどろであった。つまり,工場かどこかで業務用にこしらえたカツがおつゆの中に浸かっていたわけであって,カツ自体には防水加工が施されているわけでもなんでもなく,ただのまずいカツ。であるから,コロモは水分を吸ってぐずぐずになっているし,しだいしだいに肉から離れてどろどろになりやがって,なんじゃこりゃという状態になるのであった。
 
立ち食いソバ屋へ行くと,トッピングにコロッケというものがある。これまでに三度コロッケうどんを食べたことがあるのだが,やはりコロッケに特別の工夫がなされているわけではなく,ただのコロッケ。だんだんとぼろぼろに崩れてくる。コロッケにソースをかけて食べるわけではないから味付けはどうしたっておつゆでするしかない。しかしうどんつゆに浸したコロッケなんて変に水っぽいだけである。コロッケを味噌汁に入れるなんて想像もつかないのと同じく,うどんつゆの中に入れるというのもどうかしている。
 
こういうものに比べると,天ぷらうどんに乗っかっているかき揚げはいい。コロモはおつゆを吸ってとろとろになってしまうものの,口当たりの滑らかさとおつゆの味が融合して,それはそれで実においしい。しかしコロッケの崩れたやつはだめだ。おつゆにジャガイモのぼろぼろが混ざり,不愉快にザラつくばかりなのである。
 
というわけで,カツカレーうどんやコロッケカレーうどんを作ろうと思うなら,間違ってもおつゆに浸かるような盛りつけかたをしてはならない。しかしそれとても時間の問題であるから,作らないのが最もよい。
 

*後日,香川県出身の大学生にカツカレーうどんの話をしたところ,現地ではあれで当たり前ということだった。食文化は極力尊重するとしても,やっぱりなんだか嫌だ。 
 読者投稿記事ーーカレーと関係させた麺類ーーカレーの話しその7  

                                    投稿 南京ボルトさん

話がケララと離れていくようだが,カレーといえばカレーうどんは欠かせないアイテムである。カレーうどん専門店なんてのもあらわれた。学校給食では今でもあるのだろうか。昔は人気メニューの代表格だったが。

個人的にはカレー蕎麦のほうが好ましい。カレーうどんも決して悪くはないのだが,どちらかというとカレー蕎麦のほうがカレー対粉ものの割合というかバランスがよいように感じる。つまりうどんだと対カレーとの関係でモノの割合が大きすぎて,カレーが相対的に弱く感じられてしまい,満足感がとぼしいのだ。 これは単なる個人的な好みの問題とは言い切れないように思う。というのは,カレースパゲティというメニューがあまり一般的でないという事実があるからだ。
 
スパゲティの味わいかたについては妙竹林なものが次々と考え出されており,和風とかいって納豆をかけたりタラコやイクラをからませることまでするのに,カレーをかけるという安直なメニューが無いでしょう。池袋駅東口付近の地下の食堂には以前カレースパゲティがあったと思うのだが,いつ間にか無くなってしまった。ファミレスとか大衆食堂とかではほとんど見かけない。簡単だと思うのにね。たぶんここらへんに秘密がある。スパゲティにカレーはあわないのだ。

思うにカレーの味というのは醤油やトマトと比べるとインパクトが弱い。スパゲティの粉ものそれ自体としての味わいは乏しいとはいえ,それでもカレーでは味を隅々にまで行き渡らせるほどの実力に欠けるのではなかろうか。

そうなるとホワイトソース系統のスパゲティはどうなんだという文句がきそうだが,あれはマカロニグラタン的な味わいの延長上に成立するものなのではなかろうか。つまり,麺と対立しながら味を加えるのがトマトその他であり,麺と共存しながら味を加えるのがホワイトソース。カレーはスパゲティと共存するには個性が違いすぎ,対立しても勝てないのだ。
 
うどんや蕎麦,個人的には蕎麦のほうがカレーとのバランスが良いように感じるのはこういうことなんだと思う(どういうことなんだ?カレーうどん専門店が出現したという事実と矛盾しないか?)。では,ソーメンや冷や麦にカレーをかけたらどうなるのだろう。カルピス原液で盛り蕎麦を食べると美味いそうだが。

考えていたら何も食べたくなくなってきた。
                                        2009.4.1

 
読者投稿記事              ケララとダルマ

                            投稿 こばやしまりえさん

お正月に初詣に出かけ、だるまを買った。おいしいケララの家庭料理店、“ケララバワン”に贈るためである。実は、達磨さんは、ケララご出身であるとか。真っ赤なだるまを抱えて新年早々ケララバワンにおじゃました。

いつもの笑顔で私たちを迎えてくれたフランシスさんに、早速だるまを手渡した。喜んでくれたが、達磨はケララ出身であるということを伝えても、「ダルマは知らない。」と、なんだかピンとこない様子。確か、ヒンディー語では「宗教」「法」を意味する語が「ダルマ」のはず。おかしいなぁ。そこで、Dharmaと書いて、アクセントを「ダ」に置いてヒンディー語風に発音してみた。すると、「あ〜!ダルマのことか!」とようやく分かってくれた。その後、「ダルマ」の意味を丁寧に説明してくれた。「ダルマ」はインドではとても重要な観念であり、困っている人に愛情をさしのべることを「ダルマ」とよぶのだという。

“だるまに願い事をするときに片目を入れ、その願いが叶った時にもう片方の目を入れるという慣習は、だるまが我々に救いを与えてくれる「ダルマ」に対して、今度は我々が、片目がなくて困っているだるまに目を与えるという「ダルマ」で恩返しすることを意味するのかもしれないね。”そんなことをフランシスさんと話して、なんだかハッピーな気持ちになった。

おいしいドーサとサービスのチャイをいただいて、心身ともに大満足して店を出た。すると、なんという巡り合わせだろう。ケララバワンの隣の居酒屋ののれんに大きなだるまの絵が!だるまは大きな目を見開いて、私たちをじっと見つめているのであった。


                   ケララバワン  
               
読者投稿記事ーー中国のカレーーーカレーの話しその6
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所用で中国へ行ったりした。かの地のカレーはどういうものであろうかというと,少なくとも自分で歩いた上海・杭州・北京・大連・長春・瀋陽・重慶・西安・成都・広州の街中ではカレー専門店には気づかなかった。外食としてはあんまり一般的ではないのだろうか。ただ,「吉野家」なんかは多数中国に出店していて,牛丼一筋であるはずなのにどういうわけかカレー定食みたいなものも出している。店の前に掲げてあるメニューを見ただけで食べてはいない。誰か体験してみてもらいたいと思う。

例の狂牛病以前には日本国内で日本人相手にすら出していなかったカレーを,中国で中国人相手に出しているという事実をどう味わうか,である。たしかバルチックカレーもココイチも中国出店していたと思うので,散歩の際にでも見つけたら食べてみてほしい。

こういうわけで,あまりポピュラーじゃないんじゃないかということだけしか中国のカレー事情はわからないのだが,2点書いておこう。1点はレトルトカレーのことである。上海のスーパーで「雅子カレー」という名前のレトルトカレーを見つけてお土産に買って帰った。パッケージは日本でよくみかけるレトルト類と同じ。で,そのお味であるが,うまくなかった。味と香りが薄すぎるのである。ご飯にかけた状態は日本国内のレトルトカレーよりもやや色が薄め=透き通っているかなという印象。食べてみると色が薄めで透き通っているという心配はそのとおりであることがわかり,味も香りも薄いのである。つまり水っぽい。ウスターソースと唐辛子をかけて食べたくなる。
 
第2に,買って帰ったカレー粉である。上海のスーパーで透明の袋入りのカレー粉を見つけたのだ。日本国内のスーパーでもありますよね。ヱスビーの赤い缶に入ったカレー粉ではなくて,袋に入ったやつとか,その他いろいろ。透明袋に入ったその粉カレーはなんだか色が暗くて,名も知らない複雑なスパイスがブレンドしてあると信じ込むには十分な雰囲気だった。しかも安い。なので大袋を一つ買って帰ったのだ。

オチは見えていると思うけれど,そのとおりまるでだめ。家に帰って袋を開けて缶に移そうとしたところ,香りはなんとなくカレーっぽくはある。でもあまりにもほのかすぎるし,なんだかへんだ。後日いつもの通りにカレーを作ってみたところ,何の味も香りもしやしない。いくら投入しても,実にカレーにならないのだった。じゃあ,あのカレーのような黄色い粉は一体なんだったのだ。この間の経験からして中国の食品にはある種の不安が常に付きまとうが,そういうものだったのだろうか。おがくずとか。

                           2008.10.23
読者投稿記事ーー大学生協の恐るべきカレーーカレーの話しその5 
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。投稿 南京ボルトさん

大学生協の食堂で出ていたカレーも「糊カレー」のバリエーションの一つといってよいだろう。入学した当初はたしか100円で、しばらくして120円に値上げされた。その後は卒業するまでずっとこの値段だった。入学当時はまさに糊のようなカレーで,それまでの18年間の人生において見たことも食べたこともないような感触と味わいのカレーだったが,値段が値段だったので我慢してよく食べた。値段を据え置いた生協食堂は偉いといってよいと思うが,そればかりではない。遅々たる歩みとはいえそれなりの進歩も見られた。卒業するころには糊からは脱出しつつあり,立ち食いそば屋のカレーの食感程度には到達していた。しかし味の方は、結局ナニだったが。

よく食べた生協の糊カレーであるが,2つ指摘しておかなければならない。

第1に
が悪かった。カレーみたいな香りはするのだが,味が,なんというか非道いのである。初期のころの味は既に忘れてしまったものの,普通の感覚からすると食えたもんじゃなかった。具なんかは全く無くて,具かと思うと溶けていない固形カレーの残りだったりした。とはいえ,後期になって味の点は自主的に克服した。唐辛子とソースと醤油を大量にかけて混ぜて食べるのである。こうするとこのカレーのもともとの味が消し飛んでしまい,辛さとソースと醤油の味によって食べられるものに生まれ変わるのである。つまりカレーじゃなくなるのである。この革命的なテクニックは卒業後も様々な場面で役にたった。

第2に,食べるとそのあと必ず
が痛くなった。こればっかりは克服できなかった。あるとき生協の理事にこのことをいったら,「あんなものを食うのが悪いんだ」と言いやがった。別の理事にいったら,大要,「そうなのよね。本当は出したくないんだけど,他のものが食べられない学生がいるから残してあるのよ」と弁明した。要するに食物としての質よりも生存を優先させたわけであって,最低限の生活保障的な配慮だったわけである。生協が福利厚生施設であること面目躍如たるものがある。
 
その恩恵に深くあずかったのが自分かと思うと悲しくなってくるが。
                              2008.9.10 
読者投稿記事ーー日本の糊カレーーーカレーの話 その4

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ずいぶん以前のことであるが,カレーの料理本を買ってきて下宿でカレーばっかり作り続けたことがあった。みじん切りにしたタマネギを何十分とか炒めて作るやつで,なれてくると結構うまいものができあがった。インド料理屋のカレーとはまるで違ったものだけれど,固形のカレールーから作るものとも一線を画した味と香りになって,大変な満足感を味わったものである。
 

それと並行して,小麦粉を炒めて作るカレーもずいぶん作った。これも何かの料理本に載っていたもので,小麦粉を油で炒めると香ばしいカレーになるとか書いてあったけれど,香ばしくてうまいと感じるカレーができあがったことは一度もなかった。フエキ糊を黄色くしたようなどろどろのカレーができただけである。
 

それでも,そういうどろどろカレーは,それはそれでうまかった。どろどろという形容は正しくはないな。しゃもじでかき混ぜた感触は正直「フエキ糊」なのである。小麦粉に熱を加えてダマができないようにかき混ぜれば糊ができて当たり前なのである。そこにカレー粉を入れて同じく炒め続け,水を入れてのばせばまさに真っ黄色の糊ができあがる。それを別途ゆでておいた野菜(炒めるなんてことはしない)の鍋に投入すると,全体が真っ黄色のカレー糊ができあがる。こういうものだから,どろどろではなくて,ねとねとカレーという形容がより近い。少々堅めにできあがると,カレールーをご飯にかけて食べるというよりも,具が混じった黄色い糊をご飯に塗りたくって食べる,というあんばいになる。
 
これはこれでうまい。
                         2008.7.10
読者投稿記事ーー本格インドカレーーーカレーの話 その3 
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首都圏の大規模災害時には勤め人の帰宅問題というのが発生するそうだ。道路が祭日の浅草寺の仲店通り以上の混み具合になって,数百メートル進むのに1時間もかかるんだとか,その他その他。報道でも推奨されていたので,このあいだの日曜日に職場から自宅方向へ歩いてみることにした。職場は池袋で自宅は多摩である。そうしたところ,ビックリガードから京王線桜上水駅まで3時間弱かかってたどりついた。その日はそれおしまい。
 
で,話は帰宅難民のことではなく,西武池袋線椎名町駅から国鉄中央線中野駅のあたりまでの間にインド人経営と謳ったカレー屋が何軒もあってびっくりしたということ。ここらでこんな具合だから,東京都内に本場インドのカレー屋がどれほどあるのか見当もつかない。それらがインドで一般的に食べられているカレーを本当に再現したものなのかどうか判定する能力は残念ながら無いのだけれど,疑いは残しながら一応信用しておこう。確認したい人は我がケララ社が主催するスタディツアーに参加されるのがよろしい。レストランはむろんのこと,インドの一般家庭にもおじゃますることになるので,普通の人の日常インドご飯を食べるチャンスがあるはずだ。
 
それにしても,そういった日本のインド料理屋のカレーはどれもうまい。固形のカレールーで作ったものや学校給食のカレーシチューの味や香りとはかけ離れた代物で,要するに日本風カレーとはスパイシーさで全くの別物である。

しかし,パキスタンのカレーの缶詰の実態から考えると,インド料理店のカレーって,はたしてインド国内のカレーをそのまま日本へ持ってきたものなんだろうかという疑問はやっぱり解明したくなる。日本で形作られた舌に合うわけだから,日本向けにかなり無理してアレンジされたものなんではないだろうか。カレーに関する文献は諸種出まわっているから,研究したい人はそれらを一読するのがよろしかろう。インドへ行けば疑問も解決するので,いや,解決の手がかりくらいはつかめると思うので,同じような疑問をもった人は是非スタディツアーに参加するように。 


「東京でもケララの“母の味”が楽しめる―ケララバワン」
                        2008年6月1日
読者投稿記事ーーパキスタンのカレーの缶詰ーーカレーの話 その2 
    
                      投稿 南京ボルトさん
 
本格的な,つまり現地の人が食べている本場物という意味での本格カレーを初めて食べたのは今からすごく前のことで,パキスタン製のカレーの缶詰だった。思い出したくもないことがきっかけでどうしても食わざるを得なくなったのだった。大きさは,そうね,日本の缶詰でいったらサバ缶を3まわりほど大きくしたくらいで,すごく重かった。
 

パキスタン人が経営しているハラルフード屋で何種類か買ってきた。ハラルフードというのは回教の教義にしたがって処理された食物のことで,ムスリムはこれでないと食べられないのだ。缶を開けるとどれも上のほうにピンク色に固化した油が浮いていて,床に引くワックスのような感じがしてとても嫌だった。味であるが,何というか,慣れない当方としては得も言われぬ風味がきつくて,はじめは食えたもんじゃなかった。たぶん現地では当たり前のように食べられている食材なんだろうけれど,はっきり言って最初は「異臭」としか感じられなかった。舌で感じる味としても個人的に認識しているカレーとはかなり隔たったもので,何を食っているのかわからないような不思議などろどろだった。
 

それでもおかしなもので,何回か食っているとエスニック(こんな言葉も知らなかったけれど)舌になってくるというか,これはこれで食えなくもないという気になってくる。これまでの人生で巡り会ったことのない変な味ではあるのだが,そういう変なものとしてだんだん食えるようになってきて,しまいには「これこれ,これなんだよ」とか言って周囲に吹聴できるまでになった。喜ぶべきことなんだろう,たぶん。納豆のような腐れ豆よりはよっぽどうまい。 2008.5.10


トリヴァンドラムで食べたミールス→



バナナの葉のお皿がしいてある。中央のチャパテ ィーを食べ終わるころ,
どっとご飯がよそられてしまうので注意。


これで70ルピー(約210円くらい)!

       

 

            ケララでケララカレー   カレーの話 その1     

                                ペンネーム 南京ボルトさんより                           

インドは誰でも知っている。しかし「ケララ」といわれてすぐインドのケララ州にピンとくる人はあまり多くはないだろう。学校で都道府県名を丸暗記させられたりすることはあっても,インドの州を覚えろとは普通はいわれない。


ケララと名の付くもので一番身近なものといったらスーパーの棚に並んでいるエスビーの「ケララカレー」かもしれない。透明のパッケージの中に姿のスパイスと粉のスパイス,そしてどこにでもあるカレールーが組み合わさっているやつである。固形のカレールーに比べると、作るのには少々手間がかかるものの,ちゃんと作ればそれなりにうまい。手間がかかるといっても煮るだけだから,さして面倒なわけでもない。


中国へ行ったら中華料理ばっかり,インドへ行けば明けても暮れてもカレーばっかり。離乳食だってカレーだ。だからケララへ行ったら365日ケララカレー漬けかというと,実はそうでもない。実際の現地料理は我々が頭に思い描くところのカレーという感じじゃないのであんまり恐れることはない。

で,「ケララ」の名を冠しているこの「ケララカレー」であるが,エスビー社の弁明にもかかわらずインドのケララ州とはあまり関係は無さそうだ(旅行人142号,7頁)。だから,インドのケララ州へ行けばどこでも「ケララカレー」のようなものが食べられるかというと,そうはいかない。なかにはそういうのもあるかもわからないけど。


ハウスの「バーモントカレー」なんていうのはバーモント州には存在しないそうだし,カレー屋でときどき見かける「ヨーロピアンカレー」とかいうのも,ヨーロッパにそんなものが本当にあるのか大いに疑問である。

山椒の「麻(マー)」の味を効かせた「本格インドカレー(四川風)」なんてどうだろう。

                                    

(↑写真はケララのテクノパークのランチ。ナンの中に野菜やチキン,豆などが入っています。
タンドリーチキン,カレー添え。スタディーツアーに行って,是非食べましょう!)

                           ( 投稿 2008年4月27日)