|
| 10月6日 レポート第20号〜スタディツアー無事終了 by なほこ〜 GRIPスタディツアーの参加者は実り多い経験をして、日本に戻ってきました。 イデキ地方の3施設への、医療・就学支援金の贈呈と子供たちとの交流 トリバンドゥラムのケア・プラスでの就学支援金贈呈と、訪問看護への同行 など、今回の目的の一つは、無事達成されました。 (詳しくは、”ケララ子供基金”ニュース参照) また、レオラ大学で講義に参加したり、学生と交流したり、ソーシャルワークプログラムの視察など、多くの施設・団体を見学させていただき、今後の、本格的なスタディツアーのための情報を得、また貴重な経験を積むことができました。詳細は、後日きちんと報告いたします。 以下は、参加した小林理事が、卒論のためにまとめた今回ツアーの”ケララ日記”です ご一読ください。 ケララ日記 by Mえ インドの南に位置するケーララ州は、貧困州でありながら教育と福祉の水準が極めて高く、乳幼児死亡率は全インドで最低であり、平均余命は最長である。また、識字率は男女とも100パーセントに近いことで有名である。私は、ケーララ州の山岳地域を歩きながらそこに住む少数部族の貧しい生活を目にしたが、それと同時に未舗装の道を何台ものスクールバスが多くの子どもを運んでいる光景を見た。ケーララ州には学校が非常に数多く存在し、それは山岳地帯にあっても変わらない。津波が来たら間違いなく流されてしまうような家が多く建ち並ぶ漁村にも、子どもたちが朝学校に行く前と学校から帰ってきた後通うという塾があった。漁村の子どもたちは、日本人の私を見るなり「スクールペン」を求める。どの子どもも異口同音に「スクールペン」と叫ぶ姿には驚いた。子どもたちは休日であっても「日曜学校」に通っている。ケーララ州の教育熱は、教育を与える側にも教育を受ける側にも非常に高いものであることを実感した。アジアで初めてノーベル経済学賞を受賞した経済学者アマルティア・センが、経済成長は低くとも教育と福祉によって開発は可能であるモデルとケーララ州を評価したことはあまりにも有名であるが、ケーララ州を歩くと、教育の普及がこのようによく理解できるのである。 また、州都ティルヴァンナンダップラムに位置する社会学系の大学院大学LOYOLA Collegeを訪ね、多くの学生と交流する機会に際して、その学生の積極的に発言する姿には感銘を受けた。クラスを訪問し、私の研究テーマでもあるケーララ州における結婚とダウリーについて問うた際、クリスチャンの女子学生、ムスリムの男子学生、ナーヤルカーストの女子学生等、様々なコミュニティーに所属する学生がそれぞれの慣習について堂々と語る姿には驚いた。インドにおいてカースト問題や結婚持参金(ダウリー)問題は非常に敏感なものであり、簡単に口にしてはいけないと憂慮していたからである。無論、LOYOLA Collegeは社会学を専門とする大学院大学であり、カースト問題も研究テーマとして珍しいものではないため、常日頃から議論しているテーマなのだろうが、それを抜きにしても男女同様に自由に発言し、議論する様子は想像を超えるものだった。ケーララ社会や自らの慣習に対する自分の主張を表現する自由が、男女ともに大きく認められている場に遭遇し、ケーララ州の男女の平等を感じたのである。 他方、私はいくつかの女性のワーキングプログラムを見学した。ひとつはLOYOLA Collegeの支援する漁村(プーラル地域)の一角に建てられた施設で、その中では多くの女性がミシンの使い方を習ったり、実際にリュックサック(学校鞄)を作ったり、石鹸を作ったりしていた。石鹸を作る全ての道具はケーララ州政府から受け取ったものだという。また、2歳〜6歳の子どもを預かる保育園のような施設も併設されていた。ここで働く女性には賃金も支払われるという。どの女性も生き生きと働いていたのだが、このような施設を作るに至った背景には、女性の夫は漁民で収入が少ないという根本的な問題が存在する上に、その収入で酒を飲み、妻である女性に暴力をふるう男性も少なくないという問題があった。そのため、この施設には、女性の自立を促すと同時に女性を男性の暴力から守る役割もあるのだという。もうひとつは第4章にて詳しく述べるが、アレッピーとエルナクラム地方の主に漁村の女性を支援するNGO団体「WIN Society」のSelf Help Group(SHG)である。SHGは、約20人の女性で1グループを成し、共同で少しずつお金を貯めていくシステムである。SHGを始める以前には、お金を貯めるという観念はなく、災害などで本当にお金が必要となった時に困窮し、皆で自殺を図るケースもあったのだという。 以上のような2つの事例を考えると、男女ともに教育の機会を与えられ、一見して男女平等であるかのように思われるケーララ社会にも、支援を待ち、他の支援をきっかけとして道を切り拓く女性が少なくないということが分かる。加えて、他州と同様に、結婚時に男性側から女性側に要求される高額なダウリーに悩まされる女性は非常に多い。かつて母系制度(母系制度ではダウリーは慣習として存在しなかった)に従っていたケーララ社会の上層カーストであるナーヤルが、母系制度を廃止した後、ダウリーの慣習を受け入れ始めたこともあって、ケーララ社会全体でダウリーの慣習は拡大傾向にある。また、先に述べたような男性の女性に対するドメスティックバイオレンスの事例も多く挙げられている。さらに、失業率は男女ともに全インドで最高であり、自殺率も最高である。とりわけ女性の自殺率は他と比較しても例をみないほど異様に高い。ここに、ケーララ州の抱える大きな矛盾をみてとれる。つまり、保健と教育の水準が極めて高く、開発のモデルと高い評価を受けていながら、特に女性の権利が守られない風潮が蔓延っており、人々の抱える問題の根は非常に深いのだ。 |
||
NO19 2008年10月6日 スタディツアー無事終了(なほこ) GRIPスタディツアーの参加者は実り多い経験をして日本に戻ってきました。 イデキ地方の3施設への、医療・就学支援金の贈呈と、子供たちとの交流、 トリバンドゥラムのケア・プラスでの就学支援金贈呈と、訪問看護への同行、 など、今回の目的の一つは、無事達成されました。 (詳しくは、”ケララ子供基金”ニュース参照) また、レオラ大学で講義に参加したり、学生と交流したり、 ソーシャルワークプログラムの視察など、多くの施設・団体を見学させていただき 今後の、本格的なスタディツアーのための情報を得、また貴重な経験を 積むことができました。 詳細は、後日きちんと報告いたします。 以下は、参加した小林理事が、卒論のためにまとめた今回ツアーの”ケララ日記”です。 ご一読ください。 |
||
| NO19 2008年10月5日 SRILANKA KO-KU- NITE スリランカ空港にて KOKO WA SRILANKA KU-KO- NAI DESU. 12JI SUGI NI TSUITE, GOGO 8JISUGI MADE, 8JIKAN NO MACHI ここは スリランカ空港内 です。 12時過ぎに 着いて 午後 8時過ぎまで 8時間の 待ち JIKAN GA ARIMASU. MAMU- KUN DAKE GA SHUTSUKOKU SHITE SRILANKA TANKEN NI 時間 が あります。 マムー君 だけ が 出国 して スリランカ 探検 に DEKAKEMASHITA.NOKORI 5NIN WA KU-KO-NAI DE YASUNDEIMASU. JOSEI GUMI WA KOKODE AYURUVE-DA 出かけました。 残り 5人は 空港内 で 休んでいます。 女性組みは ここで アユルベーダー NO TORI-TOMENTO WO UKETE IMASU. KOKO NO INTERNET WA NIHONGO GA YOMEMASUGA, KAKEMASEN. の トリートメント を 受けています。 ここ の インターネットは 日本語 が 読めますが、書けません。 GOMEIWAKU WO OKAKE SHITEIMASU. ご迷惑をおかけしてます。 SAKUJITSU NO MEETING WO MOTTE, KONO TUA- SAIGONO MEETING TO SHIMASHITA. Me TO MAMU- GA 昨日の ミーティング を もって この ツアー 最後の ミーティング と しました。 Mぇ と マムーが LEORA DAIGAKU NO SENSEI NO TOKORONI ITTE, TAIZAICHU- NO GOSHINSETSU NI OREI WO ITTE KAETTA NOGA レオラ 大学 の 先生 の 所に行って 滞在中 の ご親切に お礼 言って 帰ったのが YORU NO 11JI DESHITA. SOREKARA MEETING WO HAJIMETE, NETA NO WA GOZEN 1JI SUGI DESHITA. 夜 の 11時 でした。 それから ミーティング を 初めて 寝た の は 午前 1時 過ぎ、 ASA 7JIHAN NO CHO-SHOKU WO TOTTE IRU TOKI ASOK KUMAR SAN GA OTOZURETE KIMASHITA. 朝 7時 の 朝食 を とっているときASOK KUMAR さん が 訪れてきました。 OWAKARE NO AISATSU DESU. ASOK KUMAR SAN HA GOJIBUN NO CHOSHO (MALAYARAM GO) WO お別れ の 挨拶 です。 ASOK KUMAR さん は ご 自分 の 著書(マラヤマム語)を BOKU NI ZO-TEI SHITE KUREMASHITA. KARE WA NIHON BUNGAKU WO KOJIKI KARA MURAKAMU HARUKI MADE 僕に 贈呈 してくれました。 彼は 日本文学を 古事記 から 村上春樹まで YONDE, NIHONGO BUNGAKUSHI WO KERALA JIN NI SHO-KAISHITA MONODESU. 読んで 日本語 文学史 を ケララ人 に 紹介した ものです。 KONKAI NO TSUA- NO MOKUTEKI NO HITOTSU NI, NPO MATSURI(YOYOGI) NI SHUPPIN SURU KERALA 今回 の ツアーの 目的の ひとつに NPO まつり(代々木) に 出品 する ケララ BUSSAN NO SHIIRE GA ARIMASU. YOSAN WAS 50000EN DESU. SHIKOTAMA KAIKONDA NODE OOKINA 物産 の 仕入れ が あります。 予算は 50000円 です。 しこたま 買いこんだ ので 大きな DANBO-RU IKKO NIOTSU WO YOKEI TSUKURI MASHITA. SRILANKA KO-KU- NO GO KO-I NI YORI, BUJI ダンボール 1個 荷物 を 余計 作りました。スリランカ空港の ご好意に より 無事 TSU-KAN SHIMASITA. NARITA DE DO-NARUKA WAKARI MASENGA. 通関 しました。 成田で どうなるか わかりませんが。 BOKU GA KATSUTE, SEKAI ICHI UTSUKUSHII MINSHUKU TO NADUKETA JAIRUSU SAN NO OTAKU WO DEMASHITA. 僕が かつて、 世界一 美しい 民宿 と 名付けた JAIRUSU さん の お宅をでました。 KONO YO-NA IGIBUKAI, YUTAKANA STUDY TOUR GA DEKI TANOWA, KERALA JIN NO OKAGEDESUGA, この ような 意義深い 豊かな スタディーツアー が 出来たのは ケララ人の お陰ですが NANTO ITTEMO, KERALA SHISHA NO RIKORIKO NO TAKUMINA COMMUNICATION SKILL TO JO-NETSU NI なんと 言っても ケララ支社 の りこりこ の たくみな コミュニケーションスキル と 情熱 に YORUMONODESU. SHIRUSHITE OREIWO MO-SHIAGEMASU. よるものです。 記して お礼 を 申し上げます。 |
||
| NO18 2008年10月4日 SHI NI CHOKUMEN (りじちょう) 死に 直面 HONJITSU WA, KONO TSUA- SAIDAI NO YAMABA DEARU, KEAPURASU NO KO RA NI, SHO-GAKUSHIKIN 本日は このツアー最大の 山場である。 ケアプラスの 子らに 奨学金 (10MAN EN) WO ZO-TEI SURU GISHIKI WO OKO NAI, KEA PURASU NO KATSUDO- NO GENBA WO KENGAKU (10万円)を 贈呈 する 儀式 を 行い ケアプラスの 活動の 現場を 見学 SURU KOTO DESU. KORE WO MOTTE, WAGA GRIP KERALA NO TUA- NO KO-SHIKI GYO-JI WA SHU-RYO DESU. することです。 これを もって 我が グリップケララ の ツアーの 公式行事 は 終了です。 ASU 11 JI HAN NI, TRIVANDRUM KU-KO- WO TOBITACHI, SURIRANKA NO KORONBO KU-KO- NI 明日 11時30分に トリバンドラム空港を 飛び立ち スリアンカ の コロンボ空港に MUKAIMASU. MINASAN TO OAI DEKIRU NOMO MADIKA DESU. 向います。 皆さんと お会い できるのも まじかです。 KONOGISHIKI NO SHO-SAI WA KIKOKUGO KUWASHIKU GO HO-KU SASETE ITADAKIMASUGA, KEA PURASU NO この儀式の 詳細は 帰国後 詳しく ご報告 させて 頂きますが ケアプラスの KATSUDO- NO SAIZENSEN WO MOKUGEKISHIMASHITA. SHU-MATSUKI NO GAN KANJA (50 DAI, 活動の 最前線を 目撃しました。 終末期の 癌患者(50代 DANSEI, MOTO RYO-SHI)WO, ISHI TO KANGOSHI TO KEAPURASU NO SO-SHARU WA-KA- NO CHI-MU GA 男性 元 漁師)を 医師 と 看護士 と ケアプラス の ソーシャルワーカー の チームが HO-MON SHIMASU. HIJO-NI MAZUSII IE NO HEYA NI, YASETA RO-JIN GA BIKAN(HANA KARA I NI CHU-BU 訪問します。 非常に 貧しい家の部屋に 痩せた 老人が 鼻管(鼻から 胃 に チューブ WO IRERU) WO SO-BI SHITE, NODO NI ANAGA AKERARETE YOKOTAWATTE IMASHU. SAISHO WA ISHIKI GA を 入れる)を 装備 して 喉に 穴が 開けられて 横たわって います。 最初は 意識が NAINOKA TO OMOI MASHITAGA, HANASENAIGA, MEIKAKUNA ISHI HYO-JI WO SITEIRUNODESU. ないのか と 思いましたが 話せないが、 明確な 意志表示を しているのです。 SONOGONO CHIRYO- NO ARISAMA WA ME WO SOMUKETAKU NARU KO-KEI DESHITA. DEMO, BOKU TACHI WA その後の 治療 の ありさま は 目を 背けたく なる 光景 でした。でも 僕達は KONO GENJITSU WO GYO-SHI SHITSUDUKE MASHITA. TSUMA GA BED WAKIDE ATAMA WO KAKAETE IMASU. この 現実を 凝視し続けました。 妻が ベット脇で 頭を かかえています。 MUSUME GA HANA WO SUSUTTE IMASU. WAGA GRIP NO NAHOKO WA NAMIDA WO HUITE IMASU. 娘 が 鼻を すすっています。 我がグリップの ナホコ は 涙 を 拭いています。 SOSHITE Me WA TSUINI KOE WO AGETE NAKI HAJIMEMASHITA. そして Mぇ は ついに 声 を あげて 泣き はじめました。 WAREWARE GA SONO IE WO ATO NI SHITATOKI, KAZOKU YA KINJO NO HITOBITO GA OOZEI MIOKURI NI 我々 が その 家 を 後に したとき、 家族 や 近所 の 人々 が 大勢 見送りに KURUMANO HO-HE MUKAIMASHITA. SURUTO, KANJA NO DANSEIGA TADA HITORI BED NI 車 の 方へ 向かいました。すると 患者 の 男性 が ただ 1人 ベット に TORINOKOSARETE SHIMATTANODE, BOKU WA MODOTTE, KANJA NO TEWO NIGIRI, YASETA MAKKURO NA 取り残されて しまったのです。僕は 戻って 患者 の 手 を 握り やせて 真っ黒 な KARADA WO ITAKUNAITEIDO NI DAKISHIMEMASHITA.KANJA WA EGAO SAE MISETE, BOKU NI HAYAU MINNA 身体を 痛くない程度に 抱きしめました。 患者 は 笑顔 さえ 見せて、 僕に 早く 皆 NO MOTO HE KAERE TO SIGUSADE SHIMESHIMASHITA. の 元 へ 返れ と しぐさで しめしました。 SASUGANI MUNE GA TSUBURERU OMOI DE SHIBU SHIBU KURUMA NI MODORI MASHITA. 流石に 胸が つぶれる 思い で しぶしぶ 車 に 戻りました。 |
||
| NO17 2008年10月4日 休日が終わり(なほこ) 若者組にとっては、最初で最後の休日が終わり、9時に下船し、トリバンドラムに戻ります。マムーとMえは、列車の状況を経験し情報を得ておくため、アレッピー駅でお別れです。 私達は、午後ジャイルスさんのB&Bでカレー料理を教えてもらい、スパイス事業のメニューに加える予定です。 |
||
| 星生まれ |
||
| 天の川椰子の葉影に蛍あり飛び交い明滅星生まれたり | ||
| ケララ水郷の湖上はハウスボート | ||
| 仰向けにねころべば、蛍が水田より吹き上がり、 | ||
| 椰子の葉影に煌めきてあたかも宇宙に新星が生まれいづるがごとし | ||
| かつてだれがかくのごとき事件を文字に記述せしや | ||
| 神おん自らの郷ケララよりひかる | ||
![]() |
| NO16 2008年10月3日 ナバジーバントライバルホステル トレッキングを終えたのは、午後6時30分。その足でイデキでの最後の訪問施設ナバジーバントライバルホステルにいきました。親はトライバル職業訓練施設に通うため子供達はホステルで暮らします。私達が行った時は、小さい子供たちだけいたので、しょう理事のけん球のパフォーマンスからはじまり、歌を歌って遊びました。施設の卒業生でもある先生が、35人全員の名前を書いてくれました。 8時過ぎに高年齢の人達が帰って来ました。そのうちの10人ほどが今日卒業式だったらしいです。その人達はシスターのアシスタントになるそうです。帰ってくると、明日やるはずの卒業を祝いシスターに感謝する会を前倒して、庭でやってくれました。綺麗な歌を聞かせてくれ、最後はクイズ大会で盛り上がりました。突然の訪問にもかかわらず本当に温かいもてなしを受け、私達はとても感激。ホテルに帰ってきたのは、9時半でした。 10月1日がガンジーの誕生日でその前後3日間ぐらいが祝祭日です。ホテルには家族連れが、夕食を食べにきていました。 |
||
| NO15 2008年10月3日 イエスの首ふり (チーマ) 初めてのケララは予想通り驚きの連続。人の多さは予想を越えています。気候が常夏のためか、山の上までゴムやお茶、香辛料などの耕作が行われ、山には街や人家が点在していて驚きです。また、もうひとつの驚きはドライバーの運転の荒さ、トライバーテクニックです。最後に、とても気に入った、日本では馴染みのない人々の表現方法ですが、相槌の打ち方で「Yes」、「わかりました」などの肯定は首をゆっくり両横に倒します。なんともゆったりした気分になります。凄〜く気に入っています。 |
||
| NO14 2008年10月3日 初めてのケララ (しょう) これほどのんびりしたことがあっただろうか。出発の前からほかのメンバーに任せっぱなし。ケララに着いてからもお世話になりっぱなし。しかも若者組の活躍をよそにのんびりさせてもらっている。ほとんど観光旅行者。すでに誰かがレポートしいているでしょうが、農園を訪ねたときに色々と思うところがありました。また、なんといってもBEGGERのいないケララは、風物も人々との交流も、心おきなく楽しめますよ。ケララ料理がすきな人には天国ですよ。是非ケララへ一度は行ってみましよう。 |
||
| NO13 2008年10月2日 SHO-NEN TO TOMODACHI (りじちょう) 少年と友達 2008年10月02日13:30 SAKUJITU 2 NICHI KARA 1 PAKU, SINIOR GUMI WA SUIGO- CHITAI NO SHIMA NI ARU FURUI CHIISANA 昨日2日から1泊、シニア組みは水郷地帯の島にある古い小さな HOTEL NI TAIZAI SHITE IMASU. WAZUKA 4KUMI NO KAZOKU SHIKA TOMARE MASEN. ホテルに滞在しています。わずか4組の家族しか泊まれません。 SHIKASHI, TAIHEN KOKYU- NA HOTEL DE NAKATANI SHI GA KOKODE HON WO KAITA SO- DESU. しかし大変高級なホテルで中谷氏がここで本を書いたそうです。 KOKONO HANASHI WA OHIRE WO TSUKETE GOJITSU GO HO-KOKU SHIMASU GA, ここの話は尾鰭をつけて後日ご報告しますが、 KESA SO-CHO-, SANPO NO TOCHU- OMOSHIROI KEIKEN WO SHIMASHITA. 今朝早朝、散歩の途中面白い経験をしました。 SHIMA NO KODOMO(11SAI TO 13SAI NO OTOKONOKO) GA HANASHI KAKETE KITANODE AITE WO SHITEIRUTO, 島の子供(11歳と13歳の男の子)が話しかけてきたので相手をしてると、 KARERA WA BOKU WO JITAKU NI MANEITE KUREMASHITA. 5FUN HODO ARUITE, 彼らは僕を自宅に招いてくれました。5分ほど歩いて、 JANGURUNO NAKA NI HAITTE IKIMASUTO, HIJO-NI SHISSODE CHIISANA KOYA GA ARIMASHITTA. ジャングルの中に入って行きますと、非常に質素で小さな小屋がありました。 SOREGA KODOMO TACHI NO IE DESU. DENKI GA ARIMASEN. それが子供達の家です。 電気がありません。 ASA NANONI NAKA WA KURAKU YOKU MIEMASEN DESHITAGA, YUKANI SUWATTE 朝なのに中は暗くよく見えませんでしたが、床に座って JUUSHO SHIMEI NO KO-KAN WO SHIMASHITA. KARERA NO OKAA SAN TOMO HANASHIMASHITA. 住所氏名の交換をしました。彼らのお母さんとも話しました。 13SAI NO KO NO EIGO WA ODOROKUHODO TASSHADE YODOMI GA ARIMASEN. 13歳の子の英語は驚くほど達者で淀みがありません。 SOSHITE, MOJI MO UTSUKUSHII NODESU. KOKOROKARA ODOROKI MASHITA. そして、文字も美しいものです。心から驚きました。 SAIKASO- NO COMMUNITY NO KO DOMO TACHI DESU. KARERA WA HADASHI DE ARUITE IMASU. 最下層の COMMUNITY の子供達です。彼らは裸足で歩いています。 13SAI NO KO NO NAMAE WA VISHNU TO IIMASU. KARE HA SHUMI GA KOZENI ATSUME DE ARI, TOKUI WA SAKKA- NO HOWA-DO DASO- DESU. 13歳の子の名前はVISHNUと言います。彼は趣味が小銭集めであり、得意はサッカーのフォワードだそうです。 HONJITSU GA VISHNU NO TANJO-BI DEARU KOTO, KARE WA SAKKA-BO-RU GA I KO HOSHII(350RUPI-) TOIU NODE, 本日がVISHNUの誕生日であること、彼はサッカーボールが1個欲しい(350ルビー)と言うので BOKU WA DAMASARETA TO OMOITSUTSU, 500 RUPI-(1500 YEN) TO NIHON NO KOIN WO PUREZENTO SHIMASHITA. 僕は騙されたと思いつつ、500ルピー(1500円)と日本のコインをプレゼントしました。 ATODE SHASHIN WO OKUTTE YARU KOTOWO YAKUSOKU SHITE, KARERAGA ANNAI SHITEKURETE, HOTEL MADE MODOTTEKIMASHITA. 後で写真を送ってやることを約束して、彼らが案内してくれてホテルまで戻ってきました。 HOTEL NI TSUITE FUTO MIAGERUTO, YASHI NO KI NO TEPPEN NI KAWASEMI GA TOMATTE IRU DEWA ARIMASENKA!!! ホテルについてふと見上げると、椰子の木のてっぺんにカワセミが止まっているではありませんか!!! BOKU WA SHO KITAYAMA NI BO-ENRENZU WO MOTTE KOSASETE, 僕は北山昌に望遠レンズを持ってこさせて MUCHU-DE SHATTA- WO KIRIMASHITA. MIGOTONA SHASHINNGA TOREMASHITA.. 夢中でシャッターを切りました。見事な写真が撮れました。 SHASHIN TO IEBA, KOREMADE 2 GIGA NO SD MEMORI-KA-DO WO SHO-HI SHITE SHIMAIMASHITA. 写真と言えば、これまで2ギガのSDメモリーカードを消費してしまいました。 UTSUKUSHII HANA NO SHASHIN GA IPPAIDESU. SHIKASHI, NAKA NAKA SHASHIN WO APPU DEKIMASEN. 美しい浜の写真がいっぱいです。しかしなかなか写真をアップ出来ません。 |
||
| NO12 2008年10月2日 ハウスボート (りこ) 今私達はアレッピーでハウスボートに乗っています!この船はアレッピーから出発してアレッピーへ帰って来るという実に時間の無駄な船の旅です。今私達はその最高の時間潰しを、美しい景色と美味しいご飯とビールと共に楽しんでいます。 |
||
| NO11 2008年10月2日 ZO−YA TORA (りじちょう)
SAKUJITU 10GATSU 1NICHI, GISSHIRI TSUMATTA SUKEJU-RU WO
KONASHITSUTSU, KUMARI TO YU- SANGAKU CHITAI DE SEIFU GA KANRISURU YASEIDO-BUTSU KYORYU-CHI WO TOREKKING SHIMASHITA. DAKARA SEIFU NO GAIDO FUTARI GA TUKISO TTE, OYOSO 4JIKAN, YAMA WO NOBOTTARI,
DO-BUTSUGA HAIRIKOMENAIYO-NI NATTEIMASU. MOCHIRON WAREWARE GAIBUSHAMO HAIREMASEN ASHIATO YA FUN GA MITSUKARI, GAIDO NO FUTARI GA KINCHO- SHITEIRUNOGA YOKU
WAKARIMASHITE `YSUMO-!` TO SAKEBAZU NIWA IRAREMASENDESHITA. SHIKASI, HOKANO 5 NIN
HA HEIKINA KAO WO SHITEIRU YO-SUDESU. BOKUHA MAMU- YA NAHOKO
NI TENIMOTSU WO MOTTE MORATTE, NANDOMO `YASUMO-!` WO KURIKAESHI, NANTOKA
CHO-JO- MADE ITANO DA SO-DESU. SO- OMOTTE IRUTO BOKU GA `YASUMO-!` TO
SAKENDE KURETA NODE TOTEMO TASUKATTA NO DASO-DESU. |
||||
| NO10 2008年10月1日 MDSを後に目的地クムリに (なほこ) クムリはケララ州とタミルナド州の境にある西ガート山脈の中にある町です。自然保護区になっていて野生の象、虎、バイソンに会えるところです。今日は、運がよければそれらに会え、山岳小数民族で、かつて樹上生活者のトライバルにも会うコースのトレッキングです。ガイドが二人つきました。それぞれ植物専門家、動物専門家でもあります。 頂上につくまでは沢山の花の名前を教えてもらいました。頂上からは、麓のクムリの町、西ゴート山脈、タミルナドの町など、最高の眺めでした。「波打つ山脈」という表現がビッタリです。下りでは、ガイドが野生動物との遭遇があるためかとても緊張していました。私達にとっては残念で、象が数時間前に歩いた所を追い掛けるかたちになりました。凄い急斜面を草をたべながら、水浴びしながら移動しているのにびっくり。バイソンの足跡もありました。 |
||
| NO9 2008年10月1日 AREPPI- KARA NO GOAISATSU (シニア組)
KONNICHIWA NIHON NO MINASAMA NI KOKOROKARA NO AISATSU WO
OKURI MASU KAKU KODOMO SHISETSU DEWA, KOKORO KARANO KANGEI WO UKE,
SHO KITAYAMA UMARETA KARA DESU) |
||||
| NO8 2008年9月30日 見学三昧 ・イデキでの1日 (なほこ) GRIP一行は朝一番に、この地域の様々な団体、活動を支援しているビショップを表敬訪問しました。その後、PDSのティーファクトリー、スパイスファクトリー、アーユルベーダ研究所・治療院、マリアンコリッジなどをまわり、最後有機農園を見学。終わったのは、夕暮れでした。 まず、MDSを訪問し、ハニーファクトリーとミルクファクトリーを見学。他にも生糸業など一カ所に多種のファクトリーがあり、広い地域の農業生産物加工を手掛け、それらはハイクオリティーでしられています。手の平に垂らしてくれたサンフラワーのハチミツはとっても美味しく、歓声があがりました。なめたあとの手はさらっとしていて洗う必要がないのです。純粋ハチミツだからだそうで、アーユルベーダにも使います。 |
||
| NO7 2008年9月30日 28日29日ピースホームに (なほこ) ピースホームは障害をもつこども達が集まるホーム。でも、こども達はみんなパワフルで、輝く笑顔で私たちを迎えてくれました。一晩目は素晴らしいダンスと歌のパフォーマンスを披露してもらい、私たちはお返しにけんだまを披露したり大きな栗の木の下でと幸せなら手を叩こうを歌ったりしました。途中からこども達も一緒に振りつきで参加してくれて、とても嬉しかったです。歌とダンスで一体感が生まれるのは、ケララならではのことでしょう。温かいシスターたちのおもてなしにもそのつど感動しながら、素敵な二日間を過ごすことができました。 |
||
| NO6 2008年9月28日 買い出しとヒロミホーム訪問 (Mえ) 買い出し (27日)午前中利子さんを加えて、ミーティング。スバイス事業について話しました。午後から、NPO祭で売るケララ物産の買い出し。椰子の実で作ったカップ類、バナナの繊維で作ったグッズ、革製サンダル、コーヒー紅茶など買いました。写真が送れないのが残念です。スバイス類はイデキで買います。 ヒロミホーム訪問 着くなり子どもたちに出迎えられました。中へ案内され、更にたくさんの子どもたちに囲まれた後、お菓子を配って折り鶴を渡しました。折り紙を出して折り始めたらみんな大喜びで、好きな色の紙を手に折ってもらいにきたり、自分で何かを折り始めたり。けんだまでも遊びました。ドネイションを無事手渡すことができ、来年の再会を約束して、手を振りながらホームを後にしました。 |
||
| NO5 2008年9月27日 レオラ大学 (なほこ) 24日から26日まで、若者組みは、レオラ大学にてステイ。 授業参加や支援活動を見学しました。 女性にミシンの技術習得させ、スクールバックをミシンで作る作業所や 糸紡ぎをする女性などがいました。石鹸を作っている所で、50個ほど、 買いました。保育園が併設されていて、1歳〜5歳の子供達に大泣き されてしまい、私達は、異星人にみられたようです。 施設に来ている漁民の村を訪ねました。みんな家に入らせてくれたり、話しかけてきて 笑顔が耐えません。昨年の台風で100軒以上壊された地域ですが、物的財産が そもそもないので、へっちゃらなようです。 子供達はとても元気で、学校に行く前と、終わったあとに、塾に行ってます。 1月150ルピーだそうです。塾はとても楽しそうで大歓迎をうけました。 |
||
| NO4 2008年9月26日 JILESさんの民宿へ NET KANKYO NO HENKA (ネット 環境 の 変化) SAKUJITSU, 24NICHI, JILES SAN NO MINSHUKU NI ITENSHIMASITA 昨日24日 JILESさんの 民宿に 移転しました。 WAKAMONO GUMI(Me, Mamu-, Nahoko)wa Loyla DAIGAKUN NI ITTE SOKODE IPPAKUSHIMASHITA 若者組み、(Mぇ、マムー、なほこ)は Loyla大学に 行って そこで 1泊しました。 . TOSHIYORI GUMI(SHO-, CHI-MA, BOKU)HA, HONJITSU,Tamil Naddu NI ARU TRAVANCORE KYUDEN NI ITTEKIMASHITA. 年寄り組み(ショウ、チーマ、僕)は 本日、Tamil Naddu に ある TRAVANCORE 宮殿 に行ってきました。 2 GRU-PU TOMO KOUHUNSHITE YORU NO MEETING DE HOUKOKU SHIAIMASITA 2グループ とも 興奮して 夜 の ミーテングで 報告しました。 NET KANKYO GA KAWARI, RO-MAJI DE SUMIMASEN ネット 環境 が 変わり、ローマ字 で すみません |
||
| NO3 2008年9月24日 トランバンコール遺産ホテル
|
||||||||||
| NO2 2008年9月23日 州都トリバンドラム到着
予定通り、スリランカのコロンボから、早朝ケララ州トリバンドラム空港に着陸しました。 9時30分だった。こんな早くトリバンドラムに着いたのは初めてで、とても新鮮でした。ホテルの迎えのバンが来て、無理だろうという荷物と6人を文字通りぎゅうぎゅう詰めにして、ホテルまで運んでくれました。文字通り荷物のように運ばれました。 そのホテルだが、それはもう美しいの一言。「トラバンコール・ヘリティジ・ホテル」です。花が咲き乱れる丘陵に点々と部屋やコンドミアムが散開します。眼下に美しいコバラムビーチが広がります。 食事も申し分ありません。 そして全員、ホテルでアユルヴェーダの治療を受けました。 ぼくだけ、水着を着てプールで泳ぎ、アラビア海の荒波に身をまかせました。 天気は快晴でした。 |
|||||
| NO1 2008年9月22日 コロンボ安着 現地時間の11時40分頃(日本時間午前3時10分)スリランカはコロンボのラダナホテルに全員安着しました。 全員とは、副理事長しょう、事務局長なほこ、まむ〜、Mえ、チーマ、およびぼくの6人です。 航空機はスリランカ航空で、コロンボ上空を通過して、いったんモルジブのマレーに着いて、そこで多くの日本人新婚客を降ろし、またコロンボに引き返すという航路です。コロンボの空港では、トランジットのホテルに行く方法が分からず、ツアー長のまむ〜の奮闘で、時間がかかるもホテルのバスが迎えに来て、無事ホテルに着いたところです。 機内では、Mえを中心に千羽鶴の鶴を折っていたら、スチュワーデスが3人ほど教わりに来たので、Mえといくが折り順の工程別に10個を折って、手渡し、折り紙と完成品を彼女たちに贈呈しましたた。 互いに住所を交換して、Mえといくが、彼女たちからスリランカ航空のグッズのプレゼントをもらっていました。思わぬ国際交流ができました。 明日、早朝、コロンボからケララ州都トリバンドラムへ飛び立ちます。たった1時間のフライトです。 |
||