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2009年12月15日、第3回 なか区民活動センター祭りが行われました。 |
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| 読者投稿記事 |
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| 投稿 南京ボルトさん 最も古いカレーの記憶というと、保育園の給食で出てきたカレーである。味までは思い出せないものの、美味かったという記憶がなんとなくある。そしてお昼の時間にみんなで食べている情景と音を思い出すことができる。 その保育園のお昼は、ご飯だけを家から弁当箱に詰めてきて、おかずは保育園が出してくれるというものだった。俺は白米のご飯。そのころは麦飯の子もおおぜいいた。押し麦の茶色い中心線が面白くて、真っ白な自分の弁当箱が物足りなかった記憶がある。なかでも良く遊んだゴツい顔の子が持ってきていた茶色い醤油飯(「ショイメシ」と発音していた)は俺の白いご飯よりも魅力的に見えて、食べたくてしかたがなかった。醤油をかけたご飯ではなくて、醤油の炊き込みご飯のようなものだったと思う。何度かその子に作り方を質問したのだけれど、答えは要領を得ないというか、言葉の意味がわからず残念ながらまるで理解できなかった。母親に作り方を伝えた記憶もあるのだが、一度も作ってはくれなかった。 保育園の給食で出てくるのは温めた牛乳とおかず一品で、牛乳は給食のおばさんが各園児のカップに注いでくれた。アルミのカップの子もいれば合成樹脂のカップの子もいた。たしか、俺は最初はアルミでできた薄い水色のカップで、途中から緑色の合成樹脂のカップに変わったと思う。アルミのは飲むときに唇が火傷しそうなほど熱かったのが嫌だった。 メインのおかずで覚えているのが、カレー、そして茄子の煮物である。年度の途中入園だった俺にとって集団でお昼ご飯を食べるというのは初めての経験だったから、どのように振る舞うべきかわからず、周囲の園児の食べ方をひたすら真似していた。 カレーの食べ方というのは、カレーがよそられたアルマイトの丼に弁当箱のご飯を全部ぶち込み、それを匙でガチガチと突っついてから食べるというものである。覚えている音というのはこのことで、つばき組の園児全員がアルマイトの器を匙でひたすら「突く」から、それはもう教室全体にものすごい盛大なガチガチ音が響くのだった。大人になってから考えれば突っつくのではなくてかき回すほうが効率がいいわけだが、当時は考えつかなかった。ただガチガチ突きまくっていた。 さて、これを放置しては食器が傷む。保育園としても困ったのだと思う。「カレーを弁当箱のご飯にかけて食べよ。その逆は許されない」と俺たちに発令した。アルマイトの丼の底を詳細に観察するほどの問題意識は無かったから実際のダメージはわからないけれど、おそらくは酷い状態だったのではないかな。保育園児の力といっても、相手はたかだかアルマイト。そりゃ傷だらけにもなろうさ。 このようなわけで、これが最も古いカレーの記憶である。カレーの丼にご飯を入れて突っつくというのがとりわけ印象的な記憶として残っているのだから、自分の家では別の食べ方をしていたのではないかと想像されるが、覚えていない。 余談ながら茄子の煮物のことを言うと、大学を卒業してからも俺が茄子を食べられなかったのは、この保育園の給食のせいである。とにかく苦くて苦くて不味かった。俺以外にもこの茄子が食べられない子が数人いたが、食べ終わるまで席を立つことは許されなかった。どうして他の連中はあんな茄子を食べられるのか不思議でならなかった。今でこそ茄子は好物になっているが、これは長じてからの俺自身の精進のたまものであって、あの保育園での体験さえなければ数十年間の茄子欠損人生をおくることは無かったはずである。 保育園も反省したのか、今では結構まともな保育実践をおこなっている。 |
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